シングルファザーの子育てブログ

双子の女の子を育てるシングルファザーの奮闘劇。

運動会シーズンに思い出す中学生時代の話。

9月になっても

毎日が暑い!

皆さん、体調に変化はありませんか?

夏の疲れも出て来る頃なので、

体調管理をしっかりしましょう!

 

・・・なんてことを、

子供達にも言ってます。

 

9月は月末に小学校の運動会がある。

運動会までは、授業を潰しての

練習が続くようだ。

 

 

運動会を楽しみにしている

お子さんも多いと思いますが・・、

 

自分の話で申し訳ないのですが、

僕は運動会が大嫌いだった。

運動会というよりも、

その練習が何よりも嫌いだった。

 

小学生の頃から、

背が高かったために

「お前は目立つから、しっかりやりなさい!」と先生から注意されたものだった。

 

中学生になると、

練習を含め、運動会というものには、

一切、参加しなかった。

 

あっ!

一度だけ練習に参加したっけ?

 

そう!、それで嫌になったのだ。

 

 

その、嫌になった運動会の練習の話。

 

その日は、午後の授業を

運動会の入場行進の練習に当てられていた。

 

指導する教師は、

まるで軍隊の指揮官の゙ようで、

入場行進と言うより、

軍隊の行進のように思えた。

 

そして、行進して進むと、

校長の゙前に差し掛かる。

すると、上級生のリーダー?が、

右腕と顔を校長に向けて、

「かしらー(頭?)、右っ!」と叫ぶ。

すると、行進している全員が

右腕と顔を校長に向けるのだ!

 


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(練習ではなく実際の運動会の写真。モノクロで、まるで戦前の古い写真みたいだ。卒業アルバムより・・予算が無くてカラー写真にしなかったのか?)

 

僕は、この行進の練習をしていて、

もの凄く気分が悪くなった。

 

 

それは・・・、

この年の゙夏休みに

(確か、終戦記念日の゙頃かな?)

テレビで学徒出陣の映像を観たのだ。

学業の途中で戦地に赴く

大学生達の姿・・、

 

多くは生きて帰って来なかったで

あろう若者達の姿だ。

 

雨の中の勇ましい行進だった。

 

 

なにか、自分達がその真似事を・・

たかが中学校の運動会の練習で

やらされているような気分になった。

 

「戦争を放棄した国なのに?」

「何故、今更こんな事をやらされるのか?」

 

壇上に足っている校長か

東條英機」に見えた。

 

 

行進が終わると、

「きちんと揃っていない、もう一度!」

と、教師の声が聴こえた。

 

 

「・・・こんなこと、やってられない」

 

僕は、一人トボトボと歩き出した。

背後から同級生の声が聞こえる

「何処行くんだよ!」

「テメー、帰るんじゃねーよ!」

僕は振り向かずに、勝手に教室に戻って

帰り支度をした。

 

すると、後ろから人の気配がした。

クラスメイトのO君だった。

 

無言で振り向くと・・、

「あんな兵隊の真似後のようなことはやりたくねぇー、俺も帰る。」

 

 

そうして、2人で

勝手に学校から帰ったのだ。

 

以後、僕達ふたりが

運動会の練習に出ることは無かった。

練習がある日は、逃げるように

学校から脱出した。

 

当然、クラスの゙担任も、

僕達を呼び出し

「どうして勝手に帰るのか?」

「何故、運動会の練習に出ないのか?」

と注意してきた。

黙っていると・・

「今日は帰るな!」と大声を出した。

 

すると、O君は

「俺は平和主義者だ、あんな軍国主義のようなことはやってられない!だから練習も出ない。運動会にも出ない。」

 

(彼が自分と全く同じ考えだったのに僕は驚いた。)

 

僕も、「同じ考えです」と担任に言った。

 

すると、担任は

「そんなこと言ったって、みんなやってるんだぞ! 何故?、みんなと同じことが出来ないのか?」

と返して来た。

 

すると、O君は

「俺達はみんなと考えが同じ訳ね~だろ。アイツらは何も考えて無いんだ。だから言われたままにやってるんだ。俺達は猿じゃねーんだよ!」

 

僕も、「運動会は参加するつもりはありません。なので参加しないものの練習はする必要はないので帰ります。」

 

担任は、「そんなことが通る訳ないだろ!、とにかく帰るな!」と言った。

 

それしか言えない担任を 

僕は軽蔑した。

 

そして、その10分後には

学校の外に出ていた。(笑)

 


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(左はO君.、右が僕。

令和の時代の中学生に比べると、老けてますねぇ・笑。  当時の校則で男子は丸刈りでした。 この写真のふたりは生活指導から「髪が長い!」注意されてました。・・・今では信じられないでしょ?  爆笑。)

 

 

結局、その後は運動会の練習には

一度も出ることは無く、運動会も

在学中は出ませんでした。

 

 

それて、運動会の日に何をやってたって?

 

 

僕は、朝普通に「行って来ます」と家を出て、学校とは逆方向に自転車を走らせて、O君の家に向かった。

運動会ボイコットの仲間も2人増えて、

4人で楽器を弾いたりして、

遊んでいた。

(彼の家には、ピアノやギターがあったのです。)

 

デタラメの英語で 

ビートルズを歌ったり、

オリジナル曲?を作ったり

(単に、先生の悪口だけど)

 

とても、平和で文化的な時間を過ごしていたと今でも思う。

 

 

夕方、家に帰ると

母が怖い顔をしていた。

学校から連絡があったのだろう。

「お前、今日は何処へ行ってた?」

「学校・・運動会だったよ・・」

すると母は、「学校から電話があったよ、お前・・何処で運動会やってたんた?」

「うん。Oの家・・。」

母は、笑いながら「しょーもないねぇ・・お前は」と言っていた。

 

 

その後と、O君とは

意気投合することが多く、

親友と呼べる間柄になった。

 

高校は別々だったけど、

彼からは多大な影響を受けた。

 

もしも、彼と出会っていなければ・・

今の自分は無かった気がする。

 

 

そんな彼は

20歳を過ぎた頃に

僕の前から姿を消した。

彼の母親に聞いても 

何処へ行ってしまったのか

解らないそうだ。

 

彼の母親は、

彼のために作った

スーツを僕にくれた。

息子の代わりに着てくれと・・。

 

今でも、そのスーツは

大切に持っている。

おじさんになって着られなくなったけど・・。

 

 

運動会シーズンになると

思い出す話でした。

 

 

ちなみに、

我が子ふたりも

運動会は好きではないらしい。 

理由は分からないけと・・。