シングルファザーの子育てブログ

双子の女の子を育てるシングルファザーの奮闘劇。

天職とは?

もう、何年この仕事をやっているのだろう?

「いつも職歴何年?」と聞かれると、

直ぐに答えられない。

 

そんな立派な仕事とは思えない。

学歴も何も関係ない。

他人に気を使いながら言葉を発する

必要もない。

ただ、ただ、機械に向かうだけ、

そして金属を接合したり、ボルトやナットを付けるだけの作業・・・

 

それはスポット溶接


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基本は、こんな機械を使用しているが

様々なタイプがある。

 

初めてこれで作業したのは、高校1年の16歳の頃だ。

家がこの機械を使って仕事をしていた関係で、小遣い銭欲しさに手伝いをしたのが始まりだ。

毎日、学校から帰ると勉強もせずに

仕事をしていた。

 

僕に仕事を教えたのは兄だ。

言わば、兄が師匠である。

兄はこの仕事に関してはプロ中のプロ。

兎に角、仕事が速い。

だが、仕事を教えるのは、

凄く下手だったように思う。

失敗すると、「テメー、何やってんだ」と怒鳴る。殴られた事も何回もあった。

 

 

やがて、僕は高校を卒業して 

農協(JA)に就職したのだが、

就職しても帰宅後は自宅の工場で

仕事を手伝っていた。

土曜は一日、忙しい時は日曜日もだ。

その頃はすっかり仕事が出来るようになっていた。

 

兄の厳しい指導のお陰で、

その辺の本職で働く人よりも

良い仕事が出来るようになっていたようだ。それに、この仕事をしていると不思議と嫌な事が忘れられた。

それだけ自分に合っていたのだろう。

 

 

暫くして、僕は農協を辞めた。

人間関係のゴタゴタに巻き込まれ、

心身共に疲れてしまったのだ。

 

そんな頃、本格的にこの仕事で将来、

食べて行こう!と思い始めた。

厳しい兄も、「これだけ出来れば、何処の会社に入っても通用する」と太鼓判を押してくれた。

 

 

それから数十年が過ぎた。

その間、何社もの会社を渡り歩いたが、

一貫してこの仕事を続けている。

今では、金属の材質、板厚で自然に

頭の中に溶接条件が出て来る。

 

兄の言ったように、どの会社で仕事をしても誰にも負けなかった。それは今も変わらない。

 

 

人間、必ず自分に合った仕事があると思う。それは、日々の生活の中の悲しみ、怒りをその時だけ忘れられるような仕事だ。夢中になれる仕事・・・それが天職ではないだろうか?

 

 

間もなく、この仕事に出逢って

40年になろうとしているが、

今でも、毎日同じようなことの繰り返しだが、僕はこの仕事が出来ることが嬉しい。明日が来るのが楽しみだ。

 

何時まで出来るのが?

 

そんな不安も最近、生じ始めたが

この際、死ぬまでやってやろう!と

思っている。(笑)