【前編】からの続き
フラフラと子供達の後に続き園庭に出た。
「何が始まるのだろう?」
子供達は大きく輪になって広がった。
周りにはカメラやビデオを構えたお父さん達。
「1・2・の3ー」と大きな声で帽子を頭上高く投げた。
暫く春の心地よい日差の中で写真を撮ったり
していた。
間もなく謝恩会が始まるようだ。
数日前から保護者が歌やダンスの出し物の練習をしていて、これから披露?するらしい。
(僕は全く練習に参加していなかった・・)
ホールへ戻るとテーブルが出ていて飲み物とお弁当が用意されていた。
会食しながら先生方と保護者にマイクが廻り
思い手話等を話している。中には涙を流しながら話す人もいた。
何を話そうか考えをまとめていた。
「よし! まとまったぞ!」
そして、僕にマイクが来た!
ところがマイクを掴んだ瞬間・・・
2人がマイクを引っ張る、引っ張る。
話そうとすると邪魔をする。
・・話そうと思っていたことが次々と頭から消えて行く~。頭の中が真っ白!
結局、自分でも何を話しているのか分からなくなってしまった!
「あう、あう・・」なんてこった・・。
今日は全く駄目な日だ!
出来ることなら初めからやり直して欲しいくらいだ。(笑)
会食も終わり、今度は余興だ。
子供達が学習発表会で披露した「大江戸なんとか?」とか言うダンス。
それを保護者が挑戦!!
・・止めておけば良いのに、ノリで出てしまった。普段なら絶対にやらないのに、今日の自分は何かが変だ!
子供達に「いいか、見ていろよ!」と言って
気が付けば中央で踊っていた。
しかし、後半は辛い!!
息が続かない~。体も痛い~。
終わった時は倒れそうになっていた。
「やらなきゃ良かった」と後悔。
・・・やっぱり年には勝てませんねぇ。
でも、最高に子供達が喜んでいたので良かった。たくさんの笑顔が見られて救われた思いがしたのでした。(次の日は筋肉痛が・・)
お母さん達の歌にも紛れ込み口パクで歌っていたのでした。(知らない曲だった・・)
今頃になって薬が効いて来たのか?はたまた
副作用なのか?絶好調になって来た!
しかし、残念ながらもう時間のようだ。
アーチを作り先生方をお送りする時間となってしまった。
1人ずつの先生にお礼の言葉を伝えていると、1~2歳の頃お世話になった先生が・・
「お父さん・・あの時のアンパンマンのお弁当、頑張りましたね!」と僕に言った・・
僕はその言葉に涙が溢れた。
そして、涙が止まらなくなった。
たくさんの人達がいる中で最後の最後に号泣してしまったのだ。
・・あの頃が一番大変だったのかも知れない。甦る記憶にまた涙。
思えば親である自分も、子供達と一緒にこの保育園で育てられたのだと思う。
妻が生きていた頃はオムツの交換も出来なかった自分。何も出来なかった自分だったけど、どうにか今日の日を迎えることが出来た。辛い時間は長かったが過ぎれば早い。
園長先生をはじめ多くの先生方、保護者の方々、そしてたくさんの子供達が〈父親 阿久田達也〉を育ててくれたのだと心から思った。感謝で一杯の気持ちだった。
全てが終わり会場から出ようとした時、1人のお父さんが声を掛けてきた。
(今まで一度も言葉を交わした事のなかった人だった。)
「阿久田さん、ウチの(奥さん)から何時も話を聞いていました。ホントに凄い人だと何時も思っていました。・・僕には阿久田さんのようには出来ないと思いますよ!」と・・。
僕は苦笑いしながら、
「僕も最初は無理だと思ったのです。しかし、やらなければならない!・・人間その気になれば何でも出来るものてすよ!奥さんを大切にしてくださいね!」と言って会場を後にしたのでした。
帰りに園舎に向かい子供達と3人
「ありがとう」と一礼した。
これで、一区切り。
子供達には次のステージが待っている。
そして、まだまだ僕のドタバタ子育て劇は続きます。
卒園式も終わり、1つの変化が・・。
子供達に僕のことを 「お父さん」と呼ばせることとなりました。
これは生前の妻が「小学生になる頃にお父さん、お母さんと呼ばせようね!」と言っていたからだ。
2人は特に抵抗なく、すんなりと「お父さん」と言うようになったのです。
「パパ」を卒業した自分でした。
小学生編に続く