シングルファザーの子育てブログ

双子の女の子を育てるシングルファザーの奮闘劇。

僕と娘の脱走劇

先日、一冊の本を読んだ。

僕が保育園時代の先生が出された本だ。

大川先生は92歳、いまだ現役で保育士を続けられておられる。


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保育園の頃の記憶と言っても遥か昔。

なんとなく~ぼんやりとした記憶しか残っていないのですが、1つだけ今でもハッキリと覚えていることがあるのです。

 

「保育園を脱走」したこと。

 

ある日の夕食の時、僕は父に山の話をしてもらっていた。

ウチの近くには山があり(・・と言っても山ばかりなのですが) 大昔、戦国時代には小俣城と言う城が有ったのです。地元の人は「城山」と読んでいます。

それで父は「城山は保育園の裏山からここまで

続いているんだぞ!」と僕に話した。

「ふーん・・」とその時は関心がなく聴いていたと思う。

しかし、「山はウチのそばまで続いている」と言う言葉が、その後も頭に残っていたのだろう。

 

母は昼間、家に居たので(専業主婦)この時代

なかなか保育園に入るのが困難だったらしく

地元の有力者にお願いして入園させて貰ったらしい・・。小学校入学までの1年保育だった。

 

しかし、今まで家で母に甘えながら好き勝手に過ごしてきた子供。

保育園の集団生活に馴染めなかった。

僕は毎日、保育園に行くのが嫌で堪らなかった。迎えの保育園バスが見えると逃げ出したものだった。

大嫌いな保育園。

いつも一人でいることが多く、帰りの時間が待ち遠しかった。

 

そんな僕にいつも声を掛けてくれたのが大川先生でした。

 

そして、ある日。

いつものように家に帰りたい。

その時、父の言った「山は繋がっている」を

思い出したのだろう。

「山を歩けば家に帰れる」

僕は保育園の外に出て山づたいに歩いて帰ることにしたのだ。

保育園から抜け出すのは簡単だった。

まず、マリアの丘に一人で登った。

(丘の上にマリア像があるのです、今はゴルフ場が出来てフェンスが張られて山には入れません)

マリア像の後ろの小道を家に帰るために、ひたすら進んだ。

道はどんどん狭くなって獣道になり、やがて

なくなった。野薔薇の棘が刺さり痛かった。

もう、進めないと思ったら涙が出てきた。

(その頃、保育園では大騒ぎだったらしい)

 

僕は泣きながら来た道を戻った。

しばらくすると、下から人の声が聴こえる。

「おーい。おーい。」

「タッちゃん、タツヤくん」と・・。

 

怒られると思った僕はそこから動けなくなってしまった。

それから、どうやって保育園まで戻ったのか

覚えていない。

しかし、たくさんの人が探してくれたようだった。連絡を受けて父もそこに来ていた。父の顔は鬼の形相だったのを覚えている。

すると、大川先生は

「叱らないで下さいね」 と父に言って

「あぁ、良かった。本当に良かった」と涙を流しながら僕を抱きしめてくれたのでした。

(今考えると、とても6歳の子供が歩いて帰れる距離ではなかった。しかも、山道だ)

 

 

 

 

 

 

 

それから数十年が過ぎ・・。

僕は親となった。

そして、今度は娘が同じ事をしたのだ。

暑い夏の出来事です。

 

双子の次女の真優は喘息とアレルギーで

2ヶ月に一度、通院している。

その日は通院の日だった。

先に、姉の莉緒を保育園へ預けて

いつもの病院に行った。

 

その日、僕は午前中だけ会社を休むことにした。いつもは遅刻なのですが、何か家の用事も済ませようと思ったからです。

ですので服装は普段着姿。

すると、真優が  「パパ、お仕事お休み?」と

訊いてきた。

「違うよ!お医者に行ってから真優を保育園に

送ってからお仕事に行くんだよ」と答えた。

 

でも、このときの彼女は僕の言葉を信じなかったのかもしれない・・

 

 

診察が終わってから、薬局で2ヶ月分の薬を受けとり保育園に向かった。時間は11時近かったと思う。

保育園に到着して、真優を教室まで送った。

みんな既に学習の最中だった。

莉緒がこっちを見てニッコリ笑っている。

僕は子供達のワークの答え合わせに忙しそうな先生に  「お願いします!」と声を掛けて教室から出たのだ。

 

途中に用事を済ませてから家に戻った。

仕事に行く準備をしていたら携帯が鳴った。

「ん?  保育園からだ!・・なんだろう?」と

電話に出ると・・担任の先生が

「真優ちゃんがいなくなってしまって!」

僕は頭の中が真っ白になってしまった。

 

教室にも、園庭にも、どこにも居ない。

今は先生方が手分けして探しているとのこと

担任の先生は泣きそうな声だった。

 

連絡を受けて僕は直ぐに保育園に向かった。

園に近づくと、数人の先生が田圃や用水路の

周辺を探していた。

車で探しに行く先生ともすれ違った。

「・・・・。」

こんな時って最悪な事を考えてしまう。

僕は鼓動が激しくなり額から汗が流れた。

「もしも、何かあったら・・」と思いながらも

娘の無事を祈るしかなかった。

 

自分でも探そうとした。

その時、園長先生に 「我々に任せて、落ち着いてください」  と言われ、職員室で情報を待つことにしたのです。

でも、気持ちは落ち着かない。

いてもたってもいられない。

すると、職員室にいたベテランの先生が

「真優ちゃんなら大丈夫!、あの子はしっかりしているからね!」と言って、園でのエピソードを話してくれた。

「それどころじゃないのに・・」と最初は思ったのだか、話を聴いているうちに少し気持ちが落ち着いてきた。

 

 

しばらくして電話が鳴った。

副園長先生が応対している。

「はい。そうです。・・名前は・・」

 

見つかったらしい!・・しかし、

「無事なのか?  怪我はしていないのか?」と

次々に不安が僕を襲う・・。

 

電話が終わり、「見つかりましたよ!」と副園長先生。

警察からの電話だったようだ、

ひとまずホッとした。

「怪我はないのでしょうか?」

「ええ、大丈夫!」

・・僕は安心して、身体から力が抜けて行くのを感じた。本当に良かった。

 

真優は家に帰るつもりで保育園を抜け出したようだ。・・真夏の炎天下の中、3kmも歩き

ファミレスの駐車場で散歩中の老夫婦に保護されたらしい。

 

間もなく保育園に戻って来る。

ベテランの先生が僕に

「パパ、叱らないで下さいね」。と言った。

緊張状態が長く続き、怖い表情になっていたようだ。

 

そして、真優が戻って来た。

僕は「大丈夫だったかい?」と言って抱きしめた。

すると、真優はボロボロと涙を溢した。

 

御心配をお掛けした先生方にお礼を言って

真優を見ると担任の先生が泣きながら抱きしめていた。

先生は「本当に良かった。良かった」と言いながら泣いていた。

 

この時、僕は保育園時代の自分を思い出した。

そう、あの日と同じ光景だった。

そして、あの日の父の気持ちが僕にはようやく理解出来た。

鬼の形相だった父の気持ちが・・。