2023年が明けました。
皆さん、本年も宜しくお願い致します。
元旦の日に初詣に出掛けて来た。
市内の「子育て呑龍 大光院」。
群馬南部の冬特有の「からっ風」も
なく、暖かな日だったのか、昨年の倍以上の人出だった。
この、コロナ騒ぎで3年ぶりに帰省した
人も多いのだろう。
次々と、お賽銭を投げて
今年の「お願い」をしている様子を見ていると・・・、
老若男女、神仏の前では
自然と背筋を伸ばし
姿勢良く手を合わせていた。
新年の初詣と、
昔から言われている「困った時の神頼み」、それに「亡き人への供養」の時くらいにしか宗教に向き合うことがない人が殆どだと思う。
・・・それが多くの日本人の宗教感だと思うのです。
昨年は高額な御布施を要求する
宗教団体の問題が騒がれた。
家庭崩壊になるまで高額な御布施をしている人も世の中にはいるのだ。
確かに、人生がどん底に落ちた時、
そこに救いの手を差し伸べられれば
すがりたくなるのが人間だ。
私も妻を亡くした時は
この世のどん底の気分だった。
幼い子供を抱えて、
この先の人生を考えると
不安しかなかったからだ。
もしも、あの時に、
問題になっているような宗教団体が
手を差し伸べて来たら、
・・・すがり付いていたかも知れない。
そんなことを長い列に並びながら
ボンヤリと考えていた。
本来、宗教は生の不安を取り除き
心の安らぎを求めるものだと思う。
家庭が滅茶苦茶になるような高額な御布施をしたからと言って、心の安らぎが訪れるとは思えない。
せいぜい、御札や御守りで
不安を和らげるのが古来からの日本の風習ではないだろうか?
我が子も、日々の学習の不安を
取り除く為に祈祷して頂いた。
きっと、来年は合格祈願に来ることになるだろう。
でも、受験に勝つにも、
家族健康に過ごすのも、
運勢を良くするのも、
全ては普段の習慣が大切。
良き習慣を身に着けて
今年も精一杯に人生を楽しみたいと
思います。