シングルファザーの子育てブログ

双子の女の子を育てるシングルファザーの奮闘劇。

義父との思い出

亡妻の父(僕にとっては義父)が12月10日の午後に亡くなった。83歳だった。

 

 

その日、朝は熱もなく登校した長女が熱を出したらしく学校から電話があった。

「給食を食べないので熱を計ったら、37,2℃。迎えに来て欲しい」との事。

この、コロナ渦の中での発熱は心配だ。

僕は急いで学校に向った。

 

家に着いてから熱を計ると・・36,7℃

平熱だ。しかも、「お腹が空いた」と言って

僕が作ったお粥を茶碗2杯も食べて、いたって元気だ。

その後、数回熱を計っても平熱だ。

「学校の体温計が壊れているんじゃないのか?」と思ったりしていた。

本人も元気で、勉強を始めた。

 

「何だったんだ?」と思いながらも一安心で

夕方、次女を学童に迎えに行ったのでした。

 

家に戻り、勉強をしている二人を見ながら

夕食の用意をしていた時に電話が鳴った。

妻の弟からで「親父が亡くなった」と・・。

 

話を聞くと、その日の午後に義父はコタツ

寝ていたが義母が声を掛けても起きず、息をしていない事に気が着いて慌てて救急車を呼んだらしい。

一度は蘇生したらしいが・・助からなかった。

 

妻と亡くなり方が同じ事に驚いたが、

それよりも長女が熱を出した時間帯と一致していることが不思議だった。

 

「これが虫の知らせ?」

 

きっと、義父は旅立つ時に

長女を使って教えてくれたのかも知れない。

 

 

 

その夜、義父との思い出を振り返った。

 

妻と交際していた頃、僕は義父が苦手だった。何時も怖い顔で酒を飲んでいて

挨拶をしても無視されていた。

「お前の父ちゃん、怖えーよ」と、よく妻に言ったものだ。

 

きっと、娘が僕に取られる様な気持ちだったのだろう。

(僕も将来、そんな気持ちを味わうのだろうか?)

 

結婚の許しを貰う時は、緊張しまくったのを

覚えている。

「酒は飲めるのか?」

それが、義父が僕に言った最初の言葉だった。

「はい」と僕が答えた瞬間、これまでの怖い顔が一変してニッコリと笑った。

 

すると、義父は

「そうか! そうか!」と喜びながら

やたらデカいグラスを用意した。

 

黙って見ていると、そのグラスに20度の

焼酎を波波と注いだ。

「娘と結婚したかったら、コレ飲んで♥」と

ニッコリしながら僕に言った。

 

僕は一瞬怯んだ

こんなデカいグラスにストレートの焼酎、氷すら入っていない。

横で妻が「お父さん〜」と文句を言いたげな顔をしていた。

 

意を決して・・・「頂きます!」

そう言って一気に飲んでしまった。

胃の中がチリチリと燃えるように熱い。

 

義父は「お! 大したもんだなぁ・・」と満面の笑顔だった。

 

「頂きました」と僕。

そして「娘さんも頂きます」と言った。

 

すると、豪快に笑って

「おーっ、よし! よし!」と言った。

その日は、酒を飲まされ続けて

次の日は酷い二日酔いだったっけ。

 

結婚してからは、妻の実家に行く度に 

僕は酔っ払っていたものだ。

義父は僕が飲み相手になったのが嬉しかったのだろう。

飲みながら話す昔話(武勇伝)も面白かった。

 

義父は昔、競艇選手(ボートレーサー)で

日本全国の競艇場で活躍していた。

そんな、レースの話や裏話を聞くのが楽しかった。

 

(因みに、妻も競艇選手の試験を受けたらしいが・・・選手にはなれなかった💦)

 

 

 

僕の妻が亡くなった時。

 

自分が近くに居ながら、妻の異変に気が付かなかった事。命を助けられなかった事。

それに、たった一人の大切な娘を死なせてしまった事を泣きながら謝った。

・・・義父はただ黙って涙を流していたが、

「達ちゃんが悪い訳じゃないよ。それに娘は、達ちゃんと一緒になれて幸せだったと思う」と涙ながらに言ってくれた事は忘れられない。

 

妻が亡くなってからは、すっかり力を落としてしまい体も弱ってきた。

でも、酒を飲むのは相変わらずだった。

「あまり飲み過ぎないように!」が僕の口癖となってしまった。

 

最近では、足腰が悪くなり外出することも

少なくなってしまっていた。

毎年、お盆やお彼岸の時などは我が家に来て

一緒に飲んだものだ。

しかし、昨年から来ることが出来なくなってしまっていたが、酒は飲んでいたようだ。

 

 

葬儀場の祭壇には、若い頃の笑顔の写真が

飾られていた。

 

きっと、写真の様な笑顔で

娘(妻)と7年振りに再会しているのかも知れない。

 

「おい! あの、頼りない達ちゃん頑張っているぞー」

「双子も大きくなったぞー」と伝えてくれて

いるのだろうか?

 

・・・そんな事を葬儀の間、思っていた。

 

 

そして、「お父さん。今までありがとうございました。」と最後に声を掛けました。

 

      南無釈迦牟尼仏  合掌