毎日、家事や子育てと仕事に追われて時間の流れが速く感じる。
だが、僕は 「時の流れが心を癒す」ことを
実感していた。
妻を亡くした悲しみを無くした訳ではない。
今でも妻に似ている人を見ると・・何とも言えない気分になる事がある。(胸が締めつけられるような感じだ)
忘れることは絶対に出来ない。
・・ただ、妻のいない生活の中で色々な物事を前向きに考えられるようになったのは確かだ。そして、学んだこともたくさんあった。
いつしか「一人親道」を極めたいとすら
思えて来た。
この頃(今も)、世間の一人親(しかも男親)に対する偏見を感じることも多くあった。
よく言われたのが・・
「料理は出来るの? やってるの?」だった。
中には、ストレートに「子供にちゃんと食べさせているの?」と言ってくる人もいた。
きっと、我が家の食事がインスタントや、
コンビニ弁当、カップ麺ばかりだと思われていたのかも知れない(苦笑)
男=料理は苦手、というイメージもあるのかも知れない。(古い考えですよね!)
でも、実は僕、「料理」は得意なのです。
しかも、それなりの経験もあったのです。
僕は24才~32才迄の8年間、ダブルワークをしていた。いわゆる夜の仕事だ。
昼も夜も働いていた。
・・「ホストクラブ?」と思われる方もいるかも知れませんが・・。
実際は「ゲイバー」みたいなお店だった(笑)
(ハッキリ言っておきますが、僕はゲイではありません・・笑)
接客が苦手な僕は、厨房で料理とかを作る事が多かったのです。
しかも、怠慢な店主が食材をちゃんと仕入れていないから大変!
店の冷蔵庫の中に有るものだけで、何かを作らなくてはならない・・。
そんな経験が、毎日の生活の中で活きるとは思ってもいませんでしたね。
仕事中に夕食のメニューを考え、帰りにスーパーで素早く買い物。
夕食の支度はフルスロットル!!
子供達が美味しそうに食べている表情を見ているだけで幸せな気分になった。
・・2年が過ぎて僕はすっかり主夫になってしまったようだ。
そして、年が明ければ妻の3回忌法要だ。
亡くなった時には2才の子供達も、もうすぐ4才になる。
母の記憶のない二人は母親の居ない生活が当たり前のようだが、僕は普段から母親の写真をたくさん見せたり、話をしていた。
はじめの頃は、話していて自分の感情を抑える事が出来ずに涙が溢れたりしたが、この頃は笑顔で、冗談を交えながら子供達に母親の話が出来るようになってきた。
「時の流れが心を癒す」
毎日、忙しく過ぎて行く時間が、僕の心を癒していたのだ。
瑞岩寺で3回忌の法要の日・・「やっと喪が明けた」 と僕は実感した。
法要が始まって「ちゃんと飽きずに大人しくしていられるか?」と心配していた子供達も姿勢良く座っている。
住職の読経の時も落ち着いている。
・・いつも、あんなに落ち着きがない二人なのに?
「そうか!」と僕は気が付いた。
毎月2回、保育園の「お参りの日」で、般若心経を唱えているのだ。
だから、こうして落ち着いていられるのだと
感心した。しかも、覚えている部分を
唱和しているではないか!
「ぎゃ~てい、ぎゃ~てい 」 と。
そして、初めてのお焼香・・。
(指で摘まんだ香を臭いを嗅ぎ、口に運ぼうとした時は焦りましたが・・笑)
なんとか無事に済ます事が出来ました。
長谷川住職の法話のなかで、
「お母さんは目に見えない存在だけど、いつでも何処でも二人を見守っていてくれています」
と言われた。二人とも頷きながら聴いている姿に成長を感じた。
次の法要は7回忌、小学2年生になっている。どんな小学生になっているのか?
(子供の未来を考えるのは楽しい)
すっかりお姉さんになっているのだろうなぁ・・と思った。
そして、翌月に4才の誕生日を迎えた。
この年のプレゼントは、たくさんの「絵本」を
贈った。読書の習慣を付けるためだ。
そして、誕生日が過ぎると「学習発表会」
1年のまとめの一大イベント。
学習発表会では、プリキュアに扮してお遊戯をしたり、楽器を演奏したり、英語の歌を唄ったりと・・笑顔いっぱいで頑張りました。
・・この姿、きっと見ているだろうな!
と思いながら、一人、目頭を熱くして観 ていたのだった。
つづく
🍀一人親家庭の偏見について🍀
世間では「一人親」に対する偏見は、まだまだたくさんあります。
周囲の人間の厳しい発言。
子供を直接いじる言動。
自然と子供達に劣等感を持たせようとする。
・・だから、周囲が何と言おうが子供に対して「安心感」を与えるのが親の役目だと僕は思うのです。