自分が一人親となり、子育てを始めたころ
思い出した話があります。
それは自分が小学3年生の頃の話。
同じ町内に同級生の純一君(仮名)がいた。
純一君の家は父子家庭だ。純一君が1年生の頃、お母さんは家を出て行ってしまった。
純一君には妹がいてお父さんと三人家族。
お母さんがいなくなってから、身なりがだらしなくなって、服もいつも同じだった。
そんな時、ウチの母と同級生のお母さんの話が聞こえた。
「可哀想にね~」「いつもだらしない服着て!」
「やっぱり父親だけじゃ駄目なんだろうね」
と言っていた。
(この時代の父子家庭は今とは比べ物にならないくらい大変だったと思う。福祉も何も受けられなかったようです。今、自分は同じ立場だ。本当に純一君のお父さんは頑張ったんだなと心の底から思います。)
僕は今でもこの時の母達の会話を忘れない。
自分がシングルファザーになってから、頭から離れなくなってしまった言葉だ。
だから、僕も娘達の身なりには凄く神経を使っている。(それは今も変わらない)
きっと、だらしない格好をさせていれば
あの日の母達のような人から同じ事を言われてしまう!「母親がいない子供だから・・」と
「そんなこと、絶対に言わせない!」
僕がいつも胸に秘めていることだ。
特に保育園の頃は、そんな想いが強かったと思う。以降、随所にその思いが見えると思います。
2才の頃の双子ちゃん①
僕のシングルファザーとしての子育てが始まり2ヶ月が過ぎた。
季節は春となり娘達も2才児クラスに進級した。一般的に2才位は体が弱い(ウチだけ?)
すぐに風邪をひいたり熱を出す。
その度に保育園から電話があり、会社を早退して迎えに行ったものでした。
(娘が年中になってから、病理保育が始りましたが、この時はまだ無かったのです)
「体調だけは崩さないで欲しい」といつも願っていた・・だけど・・。
そんな5月のGWのある夜のこと・・
双子の妹(真優)の咳が止まらない。
小児用の咳止めシロップを与え様子をみるが
効果がない。しかも、それまでに飲んだ水分を、まるで噴水のように吐いたのだ!😱
まだ、苦しそうに咳をしている。
・・もう、自分ではどうにもならない!!
時間は深夜になっていたが、救急病院に連絡して状況を説明した。
「すぐに来てください!」と言われ、慌てて用意をして向かったのだ。
救急病院・・ここは、3ヶ月前に妻が運ばれた病院・・・・。
今度は娘を・・。(複雑な思いがした)
病院の救急救命センターは深夜にもかかわらず混んでいた。あの時と同じ待合室で一時間以上待たされた💦
待ってる間も咳が止まらない・・
気持ちばかり焦る自分。
やっと診察を受けたのは、午前2時になろうとしていた。
処置を受けてどうにか咳は止まった。
その後、医師から「喘息」と診断され、後日
小児科での診察を奨められた。
家に帰った時には午前3時を過ぎていた。
やっと咳も止まり楽になったようで
スヤスヤ眠っている。・・子供が苦しむ姿を見るのは本当に辛い。もうこんな思いは二度としたくないと思いながら床に就いたのでした。(その後、救急救命センターは2回お世話になってしまいましたが・・。)
数日後、この総合病院の小児科で診察を受け
て、定期的に通うことになってしまいました。喘息の薬やアレルギーの薬を服用することになり、それは現在も続いています。
現在も服用している 吸入薬とアレルギーのお薬。
そんな、子供の体調不良でバタバタしたGWも終わり、真優もすっかり元気になって保育園に登園できました。
すると、今度は遠足です。
ですが、自分の仕事も遅れている事もあり
僕は休みが取れる状況ではありませんでした。・・ごめんね🙏💦💦
事情があって参加出来ない子供達は保育園でお留守番です。その日は給食も出ない。
お弁当を持たせなくてはなりません。
この時、また心のなかで母の声が聴こえた。
「あの子の家はお母さんいないから・・。」
・・ただ、ご飯とおかずを詰めただけではいけない。当然、保育士さんも見るだろうし
他の子供もみるだろう。
子供が自慢できるお弁当を作りたい。
そんな気持ちになって来たのでした。
人生初のお弁当作り。
せめてお弁当は二人が喜ぶものを作りたい!
そんな気持ちで朝の4時に起きて作りました。
なかなか思ってたようには出来ませんでしたが・・頑張って作った「アンパンマン弁当」
上手じゃないけど、生まれて初めて
心を込めて作った子供達へのお弁当。
二人とも凄く喜んでくれました。
その笑顔がとても嬉しかった。
自分、子育て・・いけるかも!!
と思った朝でした。
夕方、子供を迎えに行くと保育士さんが
「お父さん!お弁当、頑張りましたね!」と
言われた。
・・心のなかでガッツポースだ。
でも、子供はお弁当を残していた。
来年は必ず、一緒に遠足に行こう!
今年よりも美味しいお弁当をもって。
🍀このお弁当で涙しました🍀
卒園式の時の話。
我が子の成長に感動しながら、ウルウルしていたのですが涙は流していなかった。
でも、式の最後に2才児の頃に担当して頂いた先生が、「お父さん、あの時のアンパンマンのお弁当。頑張りましたね!」と言われた瞬間・・・・号泣してしまいました(笑)
この頃が一番、大変だったのでしょうね!