シングルファザーの子育てブログ

双子の女の子を育てるシングルファザーの奮闘劇。

恐怖のトツジ。

いよいよ4年生となるうちの双子。

7日が始業式で、新しいクラスと担任が発表される。

「担任の先生は誰だろ?」

「〇〇先生は嫌だなぁ・・」

「▲▲先生がいいなぁ・・」

なんて、二人で言い合っている。

 

小学4年は勉強でも重要な時期になります。

例えば、算数。

 ●小数・分数の計算。

   計算の仕組みを理解しないと、後々

   苦労することになる。

 ●図形の問題(面積・体積・角度)

   公式や法則を理解出来ないと、苦手

   意識がついてしまう。

これらをしっかりと学習していないと、6年生以降、算数(数学)が苦手教科になってしまう。・・・これ、自分の経験ですが。

 

算数に限らず、勉強は徐々に難しくなってくる。・・だから、良い先生が担任になると良いのですけどね。(運次第かな?)

 

 

 

 

僕が4年生の時の話。

 

その時の担任が、学校で一番恐い先生だった。歌手の鈴木雅之(ラッツ&スター)みたいな顔をしていて、拳は何時でもゲンコツが出来るようにグッと握ったまま。


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(写真はトツジのイメージです)笑。

 

今でも覚えている。始業式の朝の言葉。

「お前達をビシビシしごく」

この言葉にクラス全員がビビった。

 

池○先生。

池○のとっつぁん。

あだ名は、トツジ。

 

ビシビシしごく通り、トツジ(敢えて、そう書く事にする)の授業は厳しかった。

毎時間、必ず誰かがゲンコツを喰らう。

当然、男女関係ない。

 

僕も何度もゲンコツを喰らった。

 

あれは、遠足の時。

山に登って学校に戻る時、家の横を通った。

すると、隣のクラスの先生が、

「家、ここなら帰っても良いよ!」と言ってくれたので、近くに歩いていたクラスメイトと、その先生に「さようなら」を言って家に帰った。

 

ところが、翌日の朝。

トツジは鬼の形相で目の前に立っていた。

「何故、昨日は途中で帰った?」と言うなり

ゲンコツ2発。

「隣の白○先生が「帰って良いよ」と言ったから・・・」

すると、トツジは

「お前は隣のクラスの人間かぁー」と言って

ゲンコツ3発。

頭にコブが出来る程の痛み。

それに、涙がボトボト流れる。

その涙はゲンコツの痛みからではなく、

あまりにも理不尽で悔しかったからだ。

 

(先生同士の連絡のやり取りが無かったのだろうか?と子供ながら思った。)

 

 

今の時代なら、我が子がこんなことをされたら、親は黙っていないだろう。

・・しかし、ウチの親は

「担任の先生に帰る事を伝えなかったお前が悪い」と言うだけだった。

先生に殴られても、悪いのは子供。

昔の親は、こんな感じだったのです。

 

 

これだけ恐い先生だったので、殆どの子が

萎縮してしまっていた。

 

ある女の子は、授業中「トイレに行かせてください」が恐くて言えずに漏らしてしまった事があった。

しかし、クラス全員がその子を馬鹿にする事は無かった。

それは、全員がその子の気持ちを分かっていたからだ。(漏らしたって仕方ないと)

 

トツジの恐怖はゲンコツ(暴力)だけではなかった。

毎日、漢字10題デストをするのだが、

一問間違える毎に原稿用紙を一枚渡される。

その原稿用紙に間違えた漢字をビッシリと書いて次の日に持って来なければならない。

0点ならば10枚だ!

しかも、宿題は他にも出る。

 

一度、僕は8枚渡された事があった。

2問しか出来なかったからだ。

8枚書くのは大変だった。

僕は家が遠かったので、宿題に取り掛かる時間も遅くなる。

確か、終わったのが夜の10時頃だった。

 

だか、翌日。

原稿用紙を渡すと、「何じゃこれは!」と言われてゲンコツを喰らった。

・・どうやら、書くのは間違えた漢字だけで、送り仮名は書かないルールだったようで、更に8枚渡され、その日の帰りに2問間違えて合計10枚渡された。

 

もう、この原稿用紙が嫌で

漢字だけはしっかり覚えるようになったのです。

 

トツジが担任だったのは、4年生の時だけだったが、その後も5年、6年と僕らの学年の担任をしていた。

運の悪いヤツは3年間もトツジが担任だった。

 

そして、卒業式間近の頃。

トツジは卒業式の服装でPTAと揉めていた。

 

卒業式の服装は進学する中学校の制服を着用していたのだが、トツジは「私服にすべき」とひとりで主張していて揉めていたのだ。

 

結局、トツジの主張は却下されて、中学の制服を着ての卒業式となった。

 

 

そんな、恐い先生の嫌な思い出も懐かしく思えるようになった20代の頃。再び、トツジに遭遇することになった。

 

その頃、僕はJÁ(農協)に勤務していた。

JÀには小学校の口座があって、

毎月、用務員のおじさんが集金したお金を

入金に来ていた。

 

そして、窓口で対応していた僕は驚いた。

な、なんと、学校長の名前がトツジだった。

これには本当に驚いた。

思わず僕は用務員のおじさんに

「校長先生って恐い人ですよねー?」と

訊いてしまった。

すると、「恐い?、いや、優しい先生ですよ!」と言ったのだ。

条件反射で「嘘だ!」と言ってしまった。

「人違い?」とも思ったのだが、

「顔は恐いですけどね!」と用務員さん。

いやいや、恐いのは顔だけじゃないのよ、用務員さん。

 

「僕が小学生の頃、校長先生が担任だったのです。当時は凄く恐い先生でしたよ! 先生に宜しくお伝えください」と言った。

 

その年の秋になり、外務業務(集金)をしていると、小学生の遠足の列。

その最後尾には年を取ったトツジがいた。

僕は「家の近くを歩いていても帰っちゃ駄目だよ、校長先生に殴られるぞ!」と心の中で呟いた。

 

 

今、思うことは

恐怖や暴力で子供を支配してはいけない。

子供は萎縮してしまう。

 

子供を叱る時、僕はトツジの顔を思い出す。

子供に恐怖を与えてはいけない。

ましてや暴力なんて絶対に駄目だと思うのです。